
私は18歳の頃から日本一周の旅を始めた。
オートバイでの「日本一周」とは人によって様々なとらえ方がある。私が自分に都合のいいように解釈した「日本一周」のルールは、すべての都道府県に最低でも一泊はすること、そして連続したものではなく断続的なものであることだった。私には東京での日常があり、その日常の仕事を工夫し旅に出る時間を幾日か確保して、「日本一周」という目標達成に向けて一人走りに行く。そして決まった日までに日常に戻り、また旅にでて・・を繰り返したのである。この一連の旅を始めてから4年が経ち、残すは北海道と沖縄になった今、折りあるごとに自分の旅を回想する。
「いずれの場所もそれぞれに楽しかった。素晴らしい景色に感動し、人の温かさにふれてホロリとする時もあった。良いことばかりではなかったがその分いくらかは賢くなった。」
こう振り返ることもできなくはないが、どうにもひどく違和感がある。自分の経験してきた旅を美化して肯定的に捉えたい気持ちはあるが、何かが違うと感じるのだ。
きっと私は、この旅が人に誇れるような冒険の旅ではないことを知っている。そこには人より優れたものなど何一つない。あったのは「はやく日本一周しなければ」という得体のしれない義務感と、「自分を納得させるまでやりきるしかない」という思いだけである。私はこの一連の旅の空虚さを感じずにはいられなくなっていた。
2005年7月には10日間かけて東北に行ってきた。オートバイに乗り始めた頃から憧れていた夏の東北。自然はどこも素晴らしかったが、見栄を張って乗っていたリッターバイクを乗りこなせず精神的にひどく疲れて帰ってきた。唯一の旅の共を信頼できないというのはつらいものだ。
2006年8月に関西方面と中国・四国地方を16日間かけて走った。初日は自宅を午前3時に出発して走り続け、滋賀県琵琶湖に着いたのが午後8時。旅の初めからくたくたではあったが、その後は順調に毎日400キロ程走っていき、一つの都道府県に一泊ずつしていった。紀伊半島と秋吉台、四国に関してはどの道も好きになった。ただ、毎日とにかく暑かった。
帰りは徳島から東京までのフェリーを予約していたが、台風で一日欠航。翌日の船旅は台風の影響でゆらゆら揺れ続け、船酔いに苦しみながら男の人ばかりがみっしり雑魚寝する中に一人混じってずっと寝続けた。なかなか心細かった。
九州は2007年3月に9日間。毎日寒すぎて体が震えない状態を忘れるほどだった。出発の日は用事を済ませてから夕方走り始め、名古屋に一泊。翌日名古屋から九州まで高速を含め820キロ走り通したが、どれだけ走っても関門海峡は遠く、寒さと眠気に耐えながら黙々と九州を目指した。
福岡から反時計回りに回った九州の自然はきびしかったが美しかった。
しかし思い出すのはあの寒さである。毎年3月に「春はすぐそこまで来ている」と喜んで出かけては痛い目を見るが、この時ばかりはオートバイにとって3月がまだまだ冬だということをいい加減学ぼうと思った。
この4年間でまとまった休みがない時は関東、甲信越に出かけて行った。東京から一歩出るとそこには山や川や海が常にある。その土地の人にとっては平凡な日常であろうが、私はいつも自然を驚きの目で眺めた。
私にとってこれらの旅はまさに「憂いもの辛いもの」であった。
別に言語や文化が違う国で冒険をしてきたわけではない。狭い日本でウロウロしてきただけである。それでも旅がつらく感じられたのは、一日に走る距離に私がなぜか異常な執着を見せたからである。
私は毎日平均して400キロ以上走った。休憩もろくに取らず下道を12時間は走りつづける。暑い日も寒い日も雨の日も自分の体力の限界まで走るのである。
「旅の醍醐味」と人が言うものには興味がなく、いつまでも眺めていたいような大自然があっても私は流れていく景色として見てオートバイから降りようとしない。人で賑わう観光スポットに行くより誰もいない道を走って距離を稼ぎたい。旅番組にはつきものの温泉には入らない。
それに、その土地の名物やおいしいものを食べたいという欲求もないので適当に空腹をしのいですぐ走り出す。
ついでに言うと旅先で人とふれあうこともあまり歓迎しない。「何ccなの?」「倒したら起こせるの?」「僕も若い頃は乗っていてね…」というお決まりの文句に付き合っているほど暇ではない。とにかく日が昇ってから暮れるまで走っていられればそれが一番良かった。
神経を張り詰めてずっと走っている緊張感だとか充実感が好きで、一種の中毒モードに入っていたことは確かである。旅に慣れると自分の限界は上がっていくものだから、一日の終わりにトリップメーターが400キロから600キロでないと達成感を感じないようになっていた。
お尻の痛みに耐えていろんなポーズで走り続け、夜に旅日記をつけようにも手が震えて字が全然書けない。と、まぁこの疲労感がちょうど良くて、はるばる遠くまで走ってきたもんだなと思う。じんわり幸せな気持ちで眠り、翌朝また淡々と走るのである。
しかし縦横無尽に走っていたわけではない。それはあらかじめ決まっている道を走る、計画的な営みであった。道だけではない。オートバイを止めて訪れる場所も泊まる宿も、すべてを決めてから私は出発した。一人旅では思い立ったら気ままに行動できる自由があるらしいが、それが私には出来なかった。限られた時間の中で、効率良く日本一周するために最善のルートを決めておかないことには走れなかったのだ。そして現実こそが計画の付属物であるかのように行動していった。

旅はいつもどこか修行のようであった。もう二度とこんな思いしたくないと思うことは少なくなかったが、その分得られる充実感を手放せなくなっていた。いつの間にか、こういうやり方でしか旅を進める方法が分らなくなっていたのである。
しかし考えてみれば、そもそもオートバイで日本一周しようと思ったのは旅行することが純粋に楽しいからではなく、オートバイが好きだからという理由だけでもない。旅に出ていろんな経験をしてみたかったが、どこに何をしにいけばいいのか分からずにいて、とりあえず「日本一周」という目標を定めないことには一歩も動き出せそうもなかったからである。
この、とりあえず作った日本一周という目標こそが旅に出る唯一の原動力となっていたことに、私はようやく気づいた。そして日本一周することに一生懸命になりすぎて、立ちどまること、そしてまわりの景色を眺めることを忘れていたことを思い、深く考え込んでしまった。私は一体何がしたかったのだろう。旅が空虚に感じられたのは、距離に執着したことや計画を立てすぎたことではなく、もとをただせば日本一周という目標自体に問題があったのではないだろうか。目標に固執した空虚な旅だと心の底では分かっていたから、走り続けることに充実感を求めたのではないだろうか。
いや、これは目標の立て方がまずかったのではない。そもそも旅というものに「目標」をもちこむべきではなかったのである。
私は「目標は持つべきであり、その実現のために計画を立て、努力すること」を何にでも通用するルールだと信じて疑ったことがなかった。この社会が善しとするルールは私に内面化された人間性でもあり、日常の行動規範となっているから、私は目的や目標を持たずして行動するということができない。
だから当然、この行動規範を旅にも持ち込んだ。つまり私の旅とは日常の仕事の延長にすぎなかった。
しかし「目標に向かって努力することが最善だ」というのは、生産労働にのみ価値が与えられるおかしな世の中だからこそ賞賛される観念なのである。確かに今の社会でより良い生活を得るための手段としては有効であろうが、心豊かに幸福な人生を送ることとは一致しないはずだ。ましてやオートバイで走り続けるという全く生産的ではない旅においては、こういった観念は不要なのだ。
ふと、長崎で同じ宿に泊まったオートバイの青年を思い出す。
彼は大学の春休みが終わるまで、という期限付きで西日本をまわっていた。予定を一切立てず、一枚の大きな日本地図だけを持ち、私には到底考えられない旅をしていた。「自分が今どの辺にいるのかもよく分らない」と笑っていた彼は、私にはないものをたくさん持っていたと思う。
旅の目的は旅をすること、私もそんな旅がしてみたいのである。
その時には、自分の目標を追い求めて前だけを見て走り続ける充実感以外の何かを、見つけることができるかもしれない。
(2007年9月 筆)

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バイクにまつわるエッセイ集
1オートバイと一人旅
2自分自身でありたい
3見えないものにしばられたくない
4日本一周という目標
5乗り始めた理由
6乗らない日々の罪悪感
7八丈島へ
8風の香る場所
9拝啓オートバイ様10日々平安
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